2019年8月27日放送の徹子の部屋。
ゲストは作家の下重暁子さんでした。

家族を描いた作品で80代にしてヒット作を次々生み出されている下重暁子さん。

 

昔からの夢だった、物書きになるまでの紆余曲折を赤裸々にお話しくださいました。

 

下重暁子さん家族という病はどこの家庭にも

家族という病 (幻冬舎新書)


下重暁子さんのお父様は軍人さん、それがとても嫌だったそうです。

お兄様もお父様とは仲が悪く、そんな育った家庭のあれこれを鮮やかに作品にされています。

「きれいごとではだめ」
とおっしゃる下重暁子さん。

その赤裸々な作品を読み、心打たれた読者の方が
「はげまされました」
と、泣きながら話しかけてきたこともあったそうです。

「嬉しかったけれど、不思議な感じがしましたね。どこの家庭にも病んでいる部分はある。葛藤したり親とけんかをしたりして、成長していく。そういうものだと思う」

「昔は鎧を着ていました。でもだんだん自由になって、楽になった。そして本当のことを書けるようになりました。」

若くしての成功や才能の発揮が注目されがちな昨今、時間をかけて熟成される人間性や作品が確かに在ることを忘れてはいけませんね。

 

 

 

下重暁子さん若い頃NHKのアナウンサー時代

下重暁子さんは野際陽子さんとほぼ同時期、NHKのアナウンサーとしてご活躍されました。

名古屋の独身寮に隣同士で一年暮らしていたこともあるそうです。

お酒のお好きなお二人、毎晩飲み歩いたのもよい思い出。

「なりたくてなったのではなくて、その頃は女性の働ける職場が限られていてしかたなく」

お二人ともそんな同機でアナウンサーをされていましたが、野際さんは5年で女優に転身、下重さんは9年でNHKを退職されました。

 

「孤独でした」と、昔を語る下重暁子さん。

下重さんの孤独は小学校低学年の頃、結核にかかり一人部屋に隔離されていたことにさかのぼります。

ピンポン台のベッドの上で、学校にも行かず、友達もおらず、一人きりで過ごす毎日だったそうです。

 

下重暁子さんの孤独

NHK退職後は永六輔さんの事務所へ。

永六輔さんも「孤独」を愛した人だったと、下重暁子さんは振り返っておられました。

奥様亡きあとは一人で暮らしていた永六輔さんのお部屋のドアに貼られた紙には
①ガスは消したか
②水道は止めたか
と、書かれてあったそうです。

孤独を引き受けて生きた方、永六輔さんを下重暁子さんはそう評しておられました。

極上の孤独 (幻冬舎新書)


 

下重暁子さん疎開の思い出を俳句に

徹子さんとは俳句を通じて昔から仲良くされている下重暁子さん。
句会で一位になった徹子さんの句をご紹介くださいました。

朝霧に 下駄引きずって 疎開の子

そして下重暁子さんの一句も

疎開列車 夕焼けに描く 地獄変

二句とも疎開時代の思い出を語った句でした。

 

下重暁子さんの夫

下重暁子さんはプライベートのことは全くお話しされないため、徹子さんは下重暁子さんがご結婚されているのを知らなかったそうです。
ある日、下重暁子さん宅に電話をした徹子さん、男の人が出たとびっくり。
その方がだんな様でした。
だんな様は元報道記者さんだそうです。

お料理はだんな様担当。
下重暁子さんはインテリア担当。
お部屋づくりで大切にしている軸は物を捨てないこと。
お使いの机はお父様の愛用されていたもの、と、自分の思いのこもったものを利用法を考えて使い続けておられます。

下重暁子さんの最新の本

下重暁子さんの新刊は、「天邪鬼のすすめ」

天邪鬼のすすめ (文春新書)

過去を振り返るのは大嫌いな下重暁子さんが、そろそろ人生を振り返ってみようかと思い書かれた自伝的エッセイ集です。
80歳にしてやっと物書きとして認められスタート、まだまだこれから書きたいものがたくさんあります。
そう言い切った強いまなざしが印象的でした。

部屋はそこに住む人を表すという言葉を聞いたことがあります。
思いのこもったものを大切に使い続けることを大切にしておられる下重暁子さん。
そのお部屋をお写真で拝見したのですが、清潔感と趣のあるあたたかな色のお部屋でした。
80代。経てきた時間を熟成した作品をこれからも届けていただきたいですね。