島津亜矢さん厳しい母親と優しい祖母に支えられて!

10月9日放送の徹子の部屋のゲストは島津亜矢さんでした。

 

 

歌怪獣との異名を持つ島津亜矢さん。圧倒的な歌唱力ですよね♫

小さい頃からほめられたり抱きしめられたことは一度もなかったという厳しいお母様の真意が書かれたお手紙を披露されました。

 

 

島津亜矢さんの夢は“女北島三郎”

 

島津亜矢さんは、お腹にいるときから胎教のように演歌を聴いていたそうです。

その影響か、幼い頃から北島三郎さんが大好き

北島三郎さんは「あんな風に歌いたい!あんな風になりたい!」という、特別な存在だったそうです。

 

島津亜矢さん子供時代は“ちびっこのど自慢”

保育園時代、みんなで歌を歌っていた時、
「あら、こぶしのきいた声がする」
と気づいた先生が耳を澄ませると、その声の主は島津亜矢さん。

 

連絡帳で先生からの報告を読まれたご家族が、それをきっかけに
ちびっ子のど自慢
に出場することになったそうです。

島津亜矢さんのご出身地、熊本は“ちびっ子のど自慢”の盛んな土地で、一日に何か所も掛け持ちすることも。

 

実力派大物歌手の片りんは、保育園時代から表れていたのですね!
保育園の先生の観察眼も素晴らしですね。

 

島津亜矢さん新曲「凛」↓↓

島津亜矢さん祖母の優しさに支えられ

やがて島津亜矢さんはレコード会社のスカウトを受け、14歳で歌手を目指して熊本の実家から東京へ上京。

島津亜矢さんの上京に反対していたお母さまも
「一度出て行ったからには一人前になって!」
と許してくれました。

その横でお父様はずっと泣いていたそうです。14歳で娘が家を出ていくのは辛いですよね。。。

 

 

けれど島津亜矢さん、上京当初は東京の空気が冷たく感じられて毎日泣きながら熊本の祖母に電話をかけていたとのこと。

「帰りたい」と涙ながらに訴える島津亜矢さんに
「早く帰っておいで」
と泣きながら返すおばあさま。

 

けれどその優しい声に、ふと我に返った島津亜矢さん、甘えちゃいけないと気持ちを立て直しました。

 

2019年6月、そのおばあさまは96歳で他界されました。

 

祖母は島津亜矢さんの記事が掲載された新聞はすべてスクラップ。

テレビに出演した後は必ず島津亜矢さんに電話をくれて「一番かわいかったよ」と言ってくれたそうです。

また、おばあさんはテレビ局にも
「島津亜矢さん、すごくよかったです」
と電話をしてくれていたそうです。

 

おばあさまが、最強で最大の島津亜矢さんのファンだったのですね!

 

おばあさまはお亡くなりになる一か月前、島津亜矢さんのコンサートに来てくださいました。昼の部、夜の部共に観覧され、ノリノリで参加されていたそうです。

祖母「また来るね」
亜矢さん「待っとるけん」
と別れた笑顔を思い出し涙されておられました。

 

 

島津亜矢さんお母さんの厳しさの真実

現在島津亜矢さんはお母さんと二人三脚でお仕事をされています。

 

「小さな町の主婦がこの世界で仕事をすることは大変だったと思います。」
と、お母さんを労う島津亜矢さん。

 

ですが、お母さんとは他愛のないことでしょっちゅうけんかをしてしまうそうですが・・・しかしそんな お母さまから島津亜矢さん宛にお手紙が届き、徹子さんが披露されました。

「亜矢子へ
15歳でデビューしてあっという間に33年。
子どもへの生涯のプレゼントは根性と思い、憎まれ役になる覚悟をして厳しく接してきました。
人を敬い、感謝の心をもって生きてください。
外国のステージで歌う亜矢子の姿が見たいです。
私のところに生まれてきてくれてありがとう。」

 

お母さんからのメッセージを受け取った島津亜矢さんは
「母は私にとって一番何も考えずにさらけ出せる唯一の人です。時に強い言葉を投げかけてしまうこともあるけれど、いつも幸せでいてほしいと思っています。」
とお話されていました。

 

お母さんの厳しさは、子育てに対するしっかりとした信念の表れだったのですね。

 

愛情ゆえの厳しさをしっかり受け止めて立派に育たれた島津亜矢さん。
歌手としての成功は母娘のチームプレイの賜物だったのかもしれませんね。

 

 

 

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