明智光秀を磯田解説!所JAPANで木俣守勝・天海・愛刀の真実!

2019年9月16日放送『新説!所JAPAN』


歴史学者・磯田道史先生が「本能寺の変」の明智光秀の謎に迫る❗

琵琶湖近くにある比叡山坂本城駅

坂本城跡にお笑い芸人『パンサー』と歴史学者『磯田道史』先生が取材に行く。

 

 

 

磯田道史先生とは?

歴史探偵とも呼ばれる磯田先生。

多くの歴史書を読み解いた歴史学者として名実ともに有名な磯田道史先生。

今回の謎に満ちた明智光秀がテーマ。

来年の大河ドラマでもある

麒麟がくる

 

明智光秀といえば・・・本能寺の変

1582年6月2日
織田信長を襲撃

 

最大の謎は・・・

なぜ、主君 織田信長を討ったのか?

 

所JAPAN
2019年9月16日放送の内容です。

 

 

本能寺の変と明智光秀の謎

400年以上も迷宮入りしている事件
本能寺の変

 

織田信長と明智光秀
事件の直前までどんな関係だったのか?

 

信長は光秀を褒め称えているという記録もある。

 

光秀も「自分は瓦礫のようなものから信長様に救われた」と書いている記録もある。

 

家中軍法という記録書にある。

 

本能寺の変が起こる直前の1年間に強い絆が激変したのだ・・・

 

その激変とは何があったのか??

 

古文書に秘密が隠されている。

 

 

 

本能寺の変を起こした理由には約60の説があると言われている。

 

パワハラ説:信長が皆の前でひどく怒られたので。

外国の陰謀説

殺される前に殺した説

など

動機を紐解くしかない。

 

磯田先生の野望とは・・・「古文書でもこれまで未公開なものを、今回のテレビ取材で見せてもらおう」だったようだ笑

 

歴史捜査 明智光秀と織田信長


 

明智一族のお寺『西教寺』場所は?

滋賀県大津市にある
西教寺

明智一族の眠る寺

場所はこちら

お寺の門は、明智光秀の居城『坂本城』の門を移築したといわれている。

門の先には坂が有り、琵琶湖が一望できる絶景がある。

 

明智光秀の妻と娘

光秀の奥さんはかなりの美人だった。
左の頬にアバタがあった。

妻(正室)の名前は

煕子(ひろこ)

人の心の美しさは変わらないからと娶った。
明智光秀は側室をとらなかった。

 

夫婦仲がよかったのだ。

 

絶世の美女と言われる娘の細川ガラシャ。(ガラシャの父が明智光秀)(ガラシャは細川忠興に嫁いだ)

煕子の葬儀の際、夫は妻の葬儀に立ち会わないのが習わしだが、夫・光秀は葬儀にずっと参列した。

ここにも光秀の人柄が垣間見られる。

 

ガラシャの祈り 三浦綾子著『細川ガラシャ夫人』に拠る


 

部下を大事にした光秀の人柄

西教寺で、明智の部下が亡くなった時のことが書かれた古文書を見せてくれた。

 

明智光秀の人柄がわかる古文書がだったのだ!

それは光秀が戦士した部下を弔ってくれるように西教寺に送った文書。

 

 

他の武将ではない特徴があった!

部下の名前の下に書いていたことは、毎月お寺に納める供養料。

そこに書かれた名前と部下の役職名を見てみると・・・

戦闘要員でもない荷物運びの者にも供養を依頼したのだ!

明智光秀はいい人だった!?

情が深くて義理がたかった。

 

 

裏切りもあった?

明智光秀は細川幽斎に仕えていた。

 

しかし、どんどん勢力を伸ばしていた信長に仕えたいと思い、主君の細川幽斎に信長へのお使いを頼まれたときに、信長に直接「仕えたい」と言う。

信長に奉公に仕えるのでと細川に手紙で伝えたという。

 

これが本当かはわからないが・・・

 

しかし、明智光秀の娘(ガラシャ)は細川幽斎の息子(忠興)に嫁いでいるので、関係が悪かったわけでもないといえる。

 

明智光秀と本能寺の変 (ちくま新書)


 

井伊美術館の場所はこちら

京都市内にある井伊美術館には、井伊直政の子孫が収集した貴重な歴史的古美術品がある。

しかしこの美術館、普段は大型犬が5頭監視しているw

 

場所はこちら
【京都府京都市東山区小松町564 下ル4丁目, 花見小路】

 

館長の井伊さんは井伊直政の子孫で、井伊家の19代目。

西暦700年代の刀もある。

歴史的価値のあるものばかり展示。

 

ここに本能寺の変にかかわるお宝が見つかったという!

昔着用されたサムライの鎧が多数あった。

 

試し具足

とても重いものである。これで動くのはとても大変だったと思われる。

井伊直政の甲冑もあった。

 

 

明智光秀の愛刀があった!

明智光秀の愛刀「明智近景」
長船派 脇差「明智秋広」

備前の長船の日本刀!

脇差、明智近影

明智光秀の名刀明智近景と脇差明智秋広

生々しい痕跡があった。
切腹している可能性があった刀だった。

自決の傷跡生々しい…

 

本能寺の変のときに光秀がしたテクニック

古文書に驚くべき事実があった!

明智光秀が本能寺に攻め入る時に、家臣に徹底して支持した敵と味方を見分ける方法。

400年封印された光秀の秘密だった。

 


足袋脚絆を見よと!

足にしっかり装具を付けているなら、味方(明智軍)であると!

寝込みを襲われた信長兵は、足にきちんと足袋脚絆をしていないからという、光秀の見極め方だったのだ。

 

 

木俣守勝(明智光秀の家臣)

あまり歴史的に名前が有名ではないが、光秀のとても有能な家臣に『木俣守勝』という人物がいる。

もともとは徳川家康の家臣だった。

そして後に徳川家康のもとに戻った。

明智光秀はこの木俣守勝をとても親密に思っていた。

 

役職は小納戸役(こなんどやく)
だった。

秘密の文書の役割だった。
かなりの側近。
いわば秘書室長という人物。

 

木俣守勝は

織田信長によって滅んだ武田信玄の家に行って、武田信玄の家臣を家康のもとに誘った。スカウトしに行ったという。

なぜ?

明智光秀は木俣守勝を通して武田家とつながっていた可能性がある。

 

秘密のパイプをもっていた。
疑われても不思議ではない。

 

 

 

細川家の古文書にこうある。

武田が滅んだら、信長と面会が始まる。

 

そしたら武田の家臣が、明智とつながっていたとバレる可能性がある。
明智が外交を匠にしていたのがバレると・・・

しかし、本能寺の変の原因はこれで決定ともいえない・・・

 

徳川家に仕えた僧侶『天海』は明智光秀!?

もっとミステリーがある

明智光秀は実は死んでなくて“天海僧正”として生きてた!?

 

徳川将軍3代に仕えた僧。

日光東照宮を作った人。

 

日光東照宮の近くに“明智平”という場所がある。

 

しかし・・・天海さまと明智光秀は筆跡鑑定では別人でした。

 

 

完全版 本能寺の変 431年目の真実 (河出文庫)