samさん医者の実家は岩槻の丸山病院。父母やご先祖のルーツがすごかった!

 

 

TRFのSAM(サム)さん

本名は「丸山正温」

(まるやま まさはる)

今回はSAMさんというより「丸山正温」さんの家系についての知られざる秘話です。

 

2018年11月26日放送のNHKファミリーヒストリアで、SAMさんのご先祖やご両親・そして兄弟や実家の病院について紐解いてルーツがわかりました。

 

医者家系であることは有名ですが、とても華麗な家柄と特にお父さんの地域(埼玉市岩槻)への献身的な医療について感動的でした。

 

また、EXILEのあつしさんとの驚きの接点がわかったのです!

 

 

 

 

SAMさんのご先祖のルーツは戦国武将だった

 

5人兄弟の4番目のSAMさん。

医者が多い家族。

 

丸山政信さん

龍信寺

龍八という人が丸山家のご先祖。

勝浦にそのご先祖のルーツがある。

そこは藩主 大岡忠光。

あの名奉行の親戚である藩主だった。

埼玉県の岩槻城に入城。

大岡家の家臣だったのがSAMさんのご先祖、丸山吉正。
岩槻藩士であった。
丸山吉正。

SAMさんからしたら4代前の高祖父にあたる。

 

丸山吉正は岩槻藩で警察みたいな役目をしていた。

 

なんと江戸時代の公武合体の時、江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室として嫁いだ皇女 和宮が徳川家へ嫁入りした歴史的な行事のとき
その警護をしていた丸山吉正。

 

その後、江戸時代が終わり、明治時代へ。

 

明治5年、丸山吉正は新たに職についていた。
埼玉県庁に採用されていました。

 

丸山吉正は今福屋という宿で下宿生活をしていました。
租税係を担当。
地租改正を推し進める役目だったのです。

 

そして結婚。

よ袮(よね)という娘が誕生しました。
息子はできなかったので、よ袮(よね)が婿をとることに。

 

一人娘のよ袮(よね)には、医者を婿にすることに。

結婚相手の男は、丸山吉正が下宿をしていた今福屋の女将に相談し、女将の親戚の医者だった横田五郎を紹介され、結婚したのです。

 

もともとSAMさんの先祖は藩士だった。
その後、養子として医者と結婚したのでした。

 

 

SAMさんの先祖の医者『横田五郎』の先祖は武将

横田家の祖先が埼玉県にありました。

 

山内という姓が横田家のルーツでした。
山内家15代『山内氏勝』

その山内氏勝は伊達政宗としのぎを削った戦国武将でした。

 

横田家には今も石田三成や上杉謙信の書状が残っていました。

 

中丸城を構えていた山内家。

 

氏勝の次男「氏重」

氏重は東京にでて、実家の地名だった「横田」を姓につけました。

 

埼玉県に移り住みました。

 

横田の屋敷は地元の名士で医者でした。

 

 

SAMの先祖とシーボルト事件

横田五郎は、眼科医でした。

羽生玄庵に師事していました。

白内障の治療法を教えてもらうために羽生玄庵はシーボルトの元に出かけた。

その御礼に葵の紋が入った着物を贈ったのですが、それを出国の時に政府が知り
シーボルト事件が起きたのです。

 

羽生玄庵は横田玄案に白内障の治療法を教えたのです。

 

 

 

SAMさんの曾祖父は森鴎外に師事していた

 

東京慈恵医院医学校
明治
SAMの曾祖父「横田五郎」さん。
21歳で医師に合格します。

 

日清戦争が勃発。

戦争中の軍医に民間の医師を政府が募集。
横田五郎は志願しました。

 

横田五郎は、なんと森鴎外について師事したのです。

 

その後、丸山よ袮と結婚したのです。
婿養子になりました。
丸山五郎に改名

 

 

SAMさんの実家はさいたま市の岩槻に丸山医院を開業

 

岩槻に「丸山医院」を開業しました。

北里研究所で丸山五郎の資料がありました。
五郎は、日本の細菌学の父「北里柴三郎」に師事しました。

 

ある日、1人の少年が五郎のもとを訪ねてきました。
顎が痙攣し、
1ヶ月前に竹やぶで怪我をしたと言ったのです。
破傷風と診断。

 

足の裏を手術して血清注射を打ちました。
少年の命を五郎は救ったのです。

 

 

SAMさんの祖父「丸山正」産婦人科医

丸山正。
SAMさんの祖父。

 

東京大学医学部に入学し、産婦人科医を目指します。

正は後で結婚する光子の家庭教師をしました。

大正15年に結婚。
すごく豪勢な結婚式を帝国ホテルで行われました。

 

SAMさんの祖母方は能役者・狂言師だった

 

祖父「正」の妻は祖母「光子」

 

光子の祖父は宝生金五郎英周という能役者でした。

SAMさんは能を極めた人がご先祖だったのです。

 

92年前に宝生家に渡るはずの結婚式の写真がありました。
宝生金五郎英周は夏目漱石などに狂言を見せた狂言師でした。

 

東京帝国大学大学院に正は経験を積みます。

 

埼玉県岩槻市にもどって病院を新築しました。

 

治療代はあるときに払えばいいからというような医者だった。

 

 

 

SAMさんの両親(父親と母親)

 

昭和3年に生まれた正義。
(SAMさんの父)

 

順天堂医学大学に入学。

 

成績優秀だった父親。
卒業式に表彰されたSAMさんの父親。

 

卒業後は東京大学医学部産婦人科に入り学びます。

 

同僚に岩崎裕和(いわさきひろかず)という人がいた。

その妹が

岩崎温子(はるこ)
SAMさんの母となる女性です。

 

SAMさん母親・岩崎温子の実家は山口県の豪商だった

 

母親の家のルーツは山口県徳山市。
岩崎家は磯松屋を営んでいたのです。
岩崎藤助。

 

櫨の実からろうを作り出す職人。
ろうそくを作る工場を営んでいました。

 

岩崎三四郎は戊辰戦争で長州藩はかかったお金で赤字になり、制産社
油を製造するポストに岩崎三四郎がついたのです。

 

その後も油の生産で商売は繁盛。

 

祖父、岩崎寛一が誕生。
家業を継がず、医者になりました。

 

寛一は「輝」と結婚。
東京豊島区で産婦人科医を開業。

 

娘の温子が誕生。(のちのSAMさん母親)

茶道などが好きな女性。

 

学習院女子中等科に進学。
お勉強がとてもできる女性でした。
総代もやるほどで、しかもスポーツも万能でテニス大会では優勝するほど上手でもあった。
才色兼備なお母さんだったのです。

 

そんな温子の兄の同僚の1人が父の丸山正義だった。

 

兄は医局で一緒だった同僚の正義に、「どんな女性が好きなんだ?」って聞いたら
「お前の妹みたいな女性が好きだ」と答えたそう。

 

 

 

 

 

SAMさんは医者家系!実家は岩槻市の総合病院

 

丸山記念総合病院

 

SAMさんの実家の「丸山記念総合病院」の場所はこちら

住所:

 

 

昭和32年に両親は結婚。

正義と温子は結婚。

母親の温子さんは23歳でした。

 

父の正義は祖父と丸山病院で勤務。

 

そして1962年に次男として正温(SAMさん)誕生。

 

埼玉県岩槻市には当時大きな病院がありませんでした。

産婦人科だった丸山病院は、総合病院を作ろうと計画しました。

 

父は岩槻に基幹病院を作りたいという使命感をもっていました。

叔父がいうには地域医療の中で、産科だけじゃだめだろうと地域の総合病院を目指したのです。

 

全財産を抵当にいれて病院を開業したのです!

 

救急患者の受け入れに力をいれた父・正義さん。

 

救急をできるだけ断らなかった丸山病院。
SAMさんの弟も医者。
父は仕事人間だったといいます。

 

家には各部屋に電話が置いてあって、すぐに駆けつけられるようにしていた父。

 

岩槻には、なくてはならない地域の総合病院になったのです。

 

24時間夜中でも緊急医療をしてくれた。

 

 

 

 

SAMさんの父親がEXILEのさんを取り上げた産婦人科医だった!

なんと!エグザイルのATSUSHI(あつし)さんもSAMさんのお父さんが取り上げていたのです!

 

子供たちには医者になると思っていた。

 

獨協中学・獨協高校に進学したSAMさん。
担任だった音海先生。
成績はよかったSAMさん。
医学部の推薦にいけそうなほど学力はよかった。

 

 

SAMさんが医者にならなかった理由は?

 

高校2年のとき、友人のいとこがディスコで働いていると聞いて行ったSAMさん。

 


正温(SAMさん)はディスコにハマってしまったのです。

両親の目を盗んで通いました。

 

将来の医者に疑問をいだき始めました。
高校卒業後、ダンスで行きていこうと家を飛び出しました。

父は激怒。
まだダンスなんてっていう時代だったから。
髪の色や長髪も丸山家にはいなかったので。

 

兄や弟もみんな医者をめざしていたので。

東京に出たSAMさん。
20歳のとき、父に決意をつげます。

 

ダンサーとして生きていくと。
「やるなら一流になれ」
その言葉がすごくひびいいて、だったらそうしてやろうと決意したSAMさん。

 

ニューヨークへ渡り武者修行します。
帰国後は新たなダンスチームで活動。

 

井口和久さんが当時の仲間。
「すごく真面目だった。考え方も体を鍛えることも」

 

平成4年。小室哲哉さんの目にとまります。
TRFに加入。
DJ コムさんはダンサーの意識がなかった。
「ダンスユニットがいろいろあるけど、どうやってダンサーを伝えるかをすごく考えていた人だった。」

 

父は言葉をかけなかった。
SAMさんを褒めることはなかった父。

 

20歳になるまでに
「何やってもいいから真面目にやれ」って言われた。
父のその言葉がなかったらここまでやれなかったかもしれない。

 

先祖を知っても、自分もそうだけどサポートの歴史かも。

 

 

父親が他界

平成16年6月

父は心不全で亡くなりました。

葬儀には多くの患者たちが駆けつけました。

NHKの紅白に決まった時に、今日はね先生はとても機嫌がいいですよ」と言っていた。

 

実は・・・

父は

SAMさんが出演するテレビ番組はすべて録画していた。
ファンにサインも頼まれていた父

「父はいい気分だったと思いますよ」と医者の弟さんは言います。

 

「あいつが一番一流になったな」と言っていた父。

弟さんが自虐的にこう言われていましたww

「俺達は親のいうように医者になったのに・・・」みたいに思うと兄弟(笑)

 

 

SAMさん現在の活動

 

SAMさんは日本心臓リハビリテーション

 

高齢者向けのダンスを披露。
いとこで循環器内科の丸山先生と。

 

さいたま市岩槻に戻り、高齢者向けのダンスを教えています。

 

ここから父のように地元に還元したいというSAMさん。